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16/01/2012
Other trips

Comment: 16  Trackback: 0

私は、東で寝ていたのか? 西でねていたのか?
 私が読んでいるブログは、旅行ブログが多いのですが、読んでいるうちに、私のカルチャー度の低さを思い知らされました。 私の旅行って、なんか、ふらりとどこかに行って、カフェでお茶したり、チープな買い物をしたり、なんか歩いてお終いなんです。 同行者にひきずられて、ちゃんとした観光とかしても、"ふーん"って後をついていっておしまい。

旅行ブログをみると、ほんとうに、みなさん奥深い旅行をしていうるなと思う次第です。 最近では、ぽけさんのベルリンの壁の記事をみました。 恥ずかしながら、ベルリンの壁が国境でなく、ベルリンは、東ドイツの真ん中〔?)にあると気づいたのは、かなり最近のこと。 でもって、"気づいて”、終わりでした。そのまま、忘れました。

今回は、ポケさんの記事を前に、”じゃ、西ベルリンの住民は、どうやって、西ドイツに移動していたのか? 東ドイツの中にいて、危なくなかったのか”という疑問をもち、ちょっと検索しました。 分かったことは、次のとおり。

  • 西ベルリンは、西ドイツではなく、連合国(アメリカ、イギリス、フランス)の占領地だった。
  • ベルリンの壁は、西ベルリンを囲って作られたが、実際に囲われていたのは、東ドイツだった。
  • 東ドイツからの亡命は命がけのイメージがあるが、東ドイツは、"厄介払いしたい国民”については、平気で亡命させた(年金生活者、犯罪者)。 "亡命したい”とごねると、逮捕され、逮捕されると西ドイツによって、”買い受け”をしてもらい、晴れて西ドイツ国民となれたのだそうです。
  • 西ベルリン市民は、空路、陸路(東ドイツ領域ノンストップの高速道路や列車)で、西側に移動することができた。(↓の地図をみると、各国占領地にひとつづつ空港があったようです)


airpot.gif


あちこちのブログでコメントしているのですが、私はマドリットで働いていた時に、ドイツに出張したことがあり、非常につらい仕事だったので、それがベルリンだったかフランクフルトだったかも覚えていなかったのです。でも、今となっては、やっぱベルリンかなって思う。

  • 日本の本社から管理職のおじさんがドイツに来ることになり、ヨーロッパの子会社から、QAディレクターのエンリケと私が、呼ばれた。
  • 仕事をしてから、飛行機にのりジュネーブ経由で6時間かけてドイツまで旅行(こんな周り道しているのに、航空券は10万円)
  • タクシーのなかから見る町は、東京みたいだった(近代的なビル)。 ホテル(シェラトン)についたのは、夜の11時。 ホテルのロビーには、”風と共に去りぬ”ふうの階段があり、その横でピアノ演奏があった。 疲れ果てていた私には、それが別世界の、自分とは関係のないものに見えた。
  • 次の日の仕事(ある会社を訪問)は、午後1時であると知らされる。 エンリケは、”じゃ、午前中にベルリンの壁見にいけるよな”とささやいたので、やはり、あそこはベルリンだった。
  • しかしながら、次の日は、朝8時から、ホテルのカフェでミーティング、直行で会社訪問、その会社から到着とはちがう空港(なんかバスターミナルみたいな、小さくて憂鬱な空港だった)に直行。2008年に閉鎖されたテンペルホーフ空港だったかも。 なんでも、よかったです、早く家に帰って寝たかった。 マドリットの自宅についたのは、夜中。


で、今、突然めざめた、”ベルリンの壁”への興味です。

私が泊ったシェラトンホテルは、西ベルリンだったのか、東ベルリンだったのか。  調べるとベルリンにはシェラトンはありませんでした。 今は、同じ会社のWestin Grandというホテルに変わっているようでした。 ”風とともにさりぬ”風の階段で確認。


1359181_convert_20120115193301.jpg 


ホテルの場所はこちら


the-westin-grand-map_convert_20120115195228.gif 

そして、ベルリンの壁があったころの地図はこちら。


d0145410_13293121_convert_20120116204726_20120116204847.jpg 



結論: ぱっとみただけでは、よくわからないです。 シェラトンは町の中心部、つまり、壁の近くにあったようです。 どちらにしろ、それが分かって、どうだというんでしょうか? 池袋のサンシャインシティにたって、”東条英樹は、ここで処刑された” なんて考えるひと、いないでしょう。(でも、熱中してる時は楽しかった!)






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Comments

リンクとベルリンの壁の詳細ありがとうございます!!

東西ベルリンの地図分かりやすいですね~!
それにしても街をまるごと囲う壁・・・良く作ったなあー。
ドイツ人の真面目さと器用さですごい壁が出来たのですね。
その後はその器用さが復興建設に向かって良かったです。

ベルリンは中心街しか歩きませんでしたが、
西と東をじっくり歩けば、違いが見えてくるかもしれないですね。

ホテルのロビー素敵です。
私はベルリンではホテルに恵まれませんでした(TT)
予約していたホテルが水周りの故障で、
近くのボロホテルにまわされました。
私は壁が崩壊した翌年にベルリンを訪れました。
東と西で建物の違いがまだはっきりしていたのを覚えています。
ベルリンの壁の残りを見たくて現地の人に尋ねたら、もう壁は無いと言われたのであきらめたんですが、後からまだ一部残っていたのを知りビックリです。きっと、私が訪ねた人は壁が崩壊したことに誇りを持っていたのかもと今となっては思います。(凄く嬉しそうに答えてくれたので…)

それにしても、ぴきさんハードなお仕事をされていたんですね。
ふとしたきっかけで、
調べものしたくなったりってありますよね
~。

な~んていいつつ、自分の場合、
旅行から帰って、ブログの記事を書こうと思った時の検索で、
自分の見た物の名前や由来が解った...ってしょっちゅうです(苦笑)!!
ホントは、旅行の前に調べとけばいいんですけどね~!?

凄いハードーワーカー@マドリッドだったのですね、
お疲れ様でした!!
こんにちは。
壁があったころ、西ドイツから西ベルリンに電車で行ったことあります。
東ドイツ内ではとまらなかったと思いますけど、東に入ってからパスポートコントロールがありました。
夏だったんですが、窓から見る景色も東はやたらグレーに見えました。
シェラトンだったら西ベルリンだったんじゃないですか?資本主義国の高級ホテルですから、西側だったんじゃないかと思いますが・・・
私もベルリンが東ドイツの中にポンっとあったの
ドイツが統合するまで知らなかったです。
そして、すっかり忘れてました。

どこの街に行ったかわからなくなるくらい
スペイン時代はハードだったんですね。
Re: タイトルなし
Leonaさん、

私は壁が崩壊した翌年にベルリンを訪れました。
> 東と西で建物の違いがまだはっきりしていたのを覚えています。

それって、貴重な体験だとおもいますよ。
今となっては、どこに何があったか、どういう違いがあったかとか
分からないと思います。

> それにしても、ぴきさんハードなお仕事をされていたんですね。

ハードな仕事はしていないのですが、スポット的に、この本社のオジサンにこき使われて泣いた時期がありました。 メールがあるので、時差を利用され、朝会社にいくと、彼からのメールがオンパレードだったんです。
〔ご存知のように)残業代もつかないし、だれも残業しない会社で、ひとり残業していたので、社長直々、”一体なにがおこってるんだ”と聞かれた経験があります。 それから、何年か後に、父が亡くなり、3週間帰国したときは、会社のはからいで、すべて有給になりました。 高い残業代を頂いたと思っています。 日本だったら、ありえないです。

Re: タイトルなし
キュウ親さん、

> な~んていいつつ、自分の場合、
> 旅行から帰って、ブログの記事を書こうと思った時の検索で、
> 自分の見た物の名前や由来が解った...ってしょっちゅうです(苦笑)!!
> ホントは、旅行の前に調べとけばいいんですけどね~!?
>

自分がブログをかき始めて、同時に色々な方の旅行ブログを真剣に読み始めて、
旅行形態が本当に変わったと思います。 なんか、クオリティーが高くなった(旅行先でやってることは、
同じなんですけどね)。 たしかに、帰ってきて、さて、ブログを書こう、でも、適当なことかけないし。。。というので、ちゃんと調べたりしますよね。 キュウ親さんは、同じ場所を何度も旅行されるので、どんどん深い旅になりますね。

> 凄いハードーワーカー@マドリッドだったのですね、

でも、なかったんです。 スポット的ハードな時代はありましたけど。 Leonaさんへの私のコメント見てくださいね。
Re: タイトルなし
rikaさん、


> 壁があったころ、西ドイツから西ベルリンに電車で行ったことあります。
> 東ドイツ内ではとまらなかったと思いますけど、東に入ってからパスポートコントロールがありました。
> 夏だったんですが、窓から見る景色も東はやたらグレーに見えました。

すごい、すっ、すっ、すごい! 詳細プリーズと言いたいところです。 気づかなかったけれど、
ノンストップとはいえ、列車は、窓があるから、東ドイツの風景を見ることができたのですね。


> シェラトンだったら西ベルリンだったんじゃないですか?資本主義国の高級ホテルですから、西側だったんじゃないかと思いますが・・・

そうかもしれません。。。

Re: タイトルなし
ピー助さん、

私もベルリンが東ドイツの中にポンっとあったの
> ドイツが統合するまで知らなかったです。

。。。とほほ、恥ずかしい。 私は、それをドイツ統合から10年以上たってから、きづいたんですう。
>
> どこの街に行ったかわからなくなるくらい
> スペイン時代はハードだったんですね。

一瞬ハードな時期だっただけで、のらりくらり働いていました。 (詳細は、LEONAさんへのお返事をみてくださいね)

Re: タイトルなし
ぽけさん、

今回は、ポケさんのブログ、”きれいだわー” って眺めてるだけじゃなくて、
ちょっと、読み入ってしまいました。

> 東西ベルリンの地図分かりやすいですね~!
> それにしても街をまるごと囲う壁・・・良く作ったなあー。

西ベルリンは東京23区ぐらいか大きかったか、なんかそんな大きさらしいですから、
それを、ほぼ一日で作るなんて、すごいとおもうし、考えついた人はだれなんだろうと
思ってしまいます。 

> その後はその器用さが復興建設に向かって良かったです。

そうですね、ドイツ人は、地道にやってきましたが、怠け者の南欧諸国には
太刀打ちできない感じですね(笑)

> ホテルのロビー素敵です。

ロビーで判断してはいけません。 私の部屋は、ふつうに立派でしたが、シャワーしかありませんでした。
日本人は、許さないと思います。

この歴史背景なかなか難しいです
日本は島国だけど、やっぱり陸続きの国はいろいろあるのでしょうね
しみじみ感じます
でも一度は見てみたいベルリンの壁です

池袋の辺りには巣鴨拘置所があるんですよね
私は土地探して知りました
Yottittiさん、

ヨーロッパの歴史というのは、本当に波乱万丈ですね。
昔は、命がけでこえた国境もいまは、EUというなまえで、パスポートなしで
移動できるし。 

日本には国境はありませんが、拉致被害者は、海をへだてて、つれていかれましたね。
非常に複雑な気持ちです。 これから、もし北朝鮮の存在がなくなれば、ベルリンみたいに、”昔は・・・” みたいになるんですかねえ。


巣鴨拘置所
巣鴨プリズンのあとに、プリン*ホテルって、なんかゴロが合いすぎで気持ち悪くないっすか。まあ、英語で書くと、sとcの違いがあるから、いいのかなー。

Bきゅう、昔、あのあたりに住んでいまひた。
Re: 巣鴨拘置所
Bきゅうさん、

巣鴨プリズンのあとに、プリン*ホテルって、なんかゴロが合いすぎで気持ち悪くないっすか。まあ、英語で書くと、sとcの違いがあるから、いいのかなー。

巣鴨プリズンの跡地にプリンスホテルできたんでしたっけ?っておもったら、サンシャインプリンスホテルっていうのが、あるみたいですね。  WIKIによると、処刑場の周りは、建物をつくらず、公園になっているそうです。 

プリンスホテル。。子供のころは、憧れました。ほら、苗場プリンスとか。 品川プリンスには、憧れなかったけど。
ベルリンという街!
ぴき さんへ

こんばんは!

わたしも一度だけベルリンに行ったことがあります。
確か、旧東ベルリンのアレキサンダー広場のホテルに宿泊しました。

ベルリンは、歴史を感じる街ですね。
建物には銃弾のあとがありました。

シナゴク、いやイスラエルレストランだったか忘れてしまいましたが、
歩道には柵がありました。

また、ユダヤ博物館は、ものものしいセキュリティーチックもありました。

歴史と斬新さがあるベルリン。
おかげで、最近は、ドイツにも関心を持つようになりました!v-519
Re: ベルリンという街!
ダック4さん

そういえば、デンマークとドイツは近いですよね、ベルリンに近いかは
分かりませんけど。

私は、本当に何も見なかったので、
一度、旅行で訪れたいと思うようになりました。
でも、壁があったとき、もしくはその直後のベルリンを見たかったです・・・

ベルリンは、"壁のなごり”だけかと思ったら、
色々と歴史的産物が盛りだくさんなんですね。

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