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18/02/2012
東日本大震災 Earthquake

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南三陸町ボランティア記録
はやいもので、東日本大震災から一年がたとうとしていますね。
あの震災は、多くの人の人生を変え、
そして、私たち日本人および外国の方の意識を大きく変えました。

友人が2度目の週末ボランティアに参加しましたので、
そのレポートをおおくりします。


Katちゃん、
ボランティアおつかれさまでした。
まだまだ、やることが山積みだけど、
前回のボランティア記録からは、かなり変わりましたね。

==============================

2月10日(金)
22:30 東京・鍛冶橋駐車場集合。
ボランティアツアーは下火になっていると思っていたのに、たくさんのバスと人。よく見ると、大阪発着のディズニーランドツアーやスキーツアーらしい。
23:00 東京・鍛冶橋駐車場を出発。ツアー参加者は36名、女性は1/3位。

2月11日(土)
8:45 南三陸町のボランティアセンター(VC)に到着。
作業場所、作業内容がぎりぎりまで決まらないのは、前回で知ったので、こちらも悠然と「何でも来い」の心境。
正式に「津の宮漁港で、漁業支援を行います」と言われる。漁港には行きたかったので、ちょっと嬉しい。
9時にVCをバスで出発して、漁港は20分程度。三陸の海は、色が深い青緑色で、とてもきれい。

VC-1.jpg


漁港までのバスの中で、作業は土嚢作りだと言われ、土嚢の作り方のプリントを渡される。
3人1組のチームで、1人(女)が土曜袋の口を広げて持ち、2人(男)がスコップで石の山から石を入れていく。袋の紐の縛り方にもやり方がある。

どのう


海には、養殖用の網がぷかぷか浮いていて、土嚢袋は、この網が動かないようにするための、重しに使う。
VCの担当者に「今日は、女性のボランティアが多いから、漁師さん達も喜ぶじゃろ」と言われる。
実際、その後、実に有難い恩恵が待っている。

漁港に到着し、何回も参加しているベテランボランティアさんが、袋の作り方の実演をする。
海に沈めるまでに袋がほどけたり、石が出てきたりしたら、危険なので、ガテン系の作業だが、細心の注意も必要だ。

3_20120218210705.jpg


JTBツアー参加者を含め、総勢45名程で作業を行う。全員を、3人のチームに分けて行われた。

=土嚢作り=

私が袋の口を広げ、2人が石をスコップで入れ、私が口を縛り、2人が袋を移動させる。
寒すぎると、この石の山がコチコチに凍ってしまい、作業ができない。実際、先週は中止になったそうな。
「よっしゃ、始めるかい」と張り切って始めるが、生半可な作業でないことがわかる。凍っていないまでも、石はぎゅっとくっついていて、崩すところから始めないといけない。
袋の紐を縛るのも3工程あり、ゴワゴワした袋と紐なので、力が入らなくてきつく縛れない。
きつく縛れないと、後ろから「こりゃ緩いなぁ」と漁師さんの声が飛ぶ。…で、コツを教えてもらう。

一番大変なのは、出来上がった袋を置き場まで移動させること。この袋、異常に重いので「何キロ位ありますかね?」と訊くと「60キロはあるんじゃないか」とのこと。男2人ばかりも申し訳ないので、たまに私も移動させるが、引きずっちゃいけないから大変。ゴロゴロと回転させるしかない。

袋が5つたまると、クレーン車にひっかけて、土嚢袋の山に積み上げていく。こんなにたくさんあるのに、まだ土嚢が必要なのか?と思うが、「ま~だまだ、足りん」とのこと。

午前中の活動(9:30~11:45)の間に、小休憩1回。その休憩中に、夢のような出来事が。
寒いので、みんな薪を燃やしている周りに自然に集まる。ふと見ると、隣には大鍋がある。
「むむっ?」とのぞくと、「ボイルしたてのムール貝だよ」と漁師さん。
「みんな、食べな、食べな」と、夢のようなお言葉。「うっそ~! まじで~!?」と、まるでひと昔前のコギャルの反応をしてしまう。

そのムール貝、海水の塩分がちょうど良く効いていて、旨みがあり、「うひょ~」と声を上げてしまう。
横を見ると、漁師さんが牡蠣を貝からむいている。気になる、気になる。
みんなの視線を察してか、漁師さん「牡蠣は、昼休みに振舞ってやるからな」ですと♪
これは、みんながその後の作業を張り切ってやるように、との発奮剤か?
発奮剤が十分効いた3人組、「よっしゃ、がんばろ~」と気合を入れ直して、またも石の山、重い袋と格闘する。
みんなの口数も減っていく。

そ・し・て、昼休み。予告どおり、熱々の牡蠣汁(味噌仕立て)が出来上がっている。長い列が出来る。
「え~っ、こんなにいいの?」という位、盛りが気前良い。とにかく、牡蠣が大きい。8cm×4cm位で、厚みもあるので、断面が丸い。大きいのに大味じゃない。こんな牡蠣、食べたことない。
添乗員の及川さんも、「僕も何回も南三陸町に来ていますが、こんなことはめったにありません。」とのこと。

身も心もホクホクして最後のひと仕事。紐を縛るのは、握力と二の腕の筋肉を使い、いい感じで張ってくる。

ようやく14:40頃に作業終了。大人数で大量の土嚢袋が出来上がった。まさに、人海戦術の作業だった。
海の男はかっこ良いな~。漁業への愛情とプライドを感じる。
震災11ヶ月目で、14:46には、海を向いて黙祷する。

そして、VCで報告をしてから、一路宿へ。
ホテルは、海が目の前なので、震災の被害を受けなかったのだろうか、と思ったら、9階建てのうち、1、2階は被害を受けたらしい。使用できる階は、震災後は避難所として提供していた。

ほてる


ロビーは5階で、入ると、実に清潔で開放感のあるきれいなホテル。たっぷり空間を使って、東に面して海が一望できる。ボランティアなのに、こんなホテルに泊まっちゃっていいのかな、と思う。でも、考えたら、ここ以外に宿泊施設がないし、収容人数がとにかく多いので、ここしかないと思われる。


16:30 部屋に入り、17:30から震災に遭った語り部さんのお話を聞くイベントがあるので、それまで温泉タイム。温泉は2階なので、震災後改築したらしく、ぴかぴか。温泉は海に面して、温泉猿のように頭にタオルをのせ、腕を縁にのせて海を眺める。
2つ露天風呂もあるので、気になり、外に目をやる。「う~ん、気持ちよさそ~」。…で、私も扉を開けて外へ。
そして「ぎゃ~っ!!」 言うまでも無く、外は1℃、露天風呂への道は氷が張っているところもある、よく見ると小雪が舞っている。でも、必死の思いで露天風呂まで辿り着きました。

温泉だと、1時間はあっという間で、バタバタと、語り部さんの会場に急ぐ。
なぜか、ステージと客席の上にはミラーボール、マイクもエコーがかかっていて、よく見るとクラブなのだな。
語り部さんの話で、黒い波の壁が迫ってくる恐怖は、察するに余りある。

19:00 ツアー参加者の食事会。貸切の部屋で、自由席。食事はすでにセットされていて、思い思いに座って食事する。私は、もちろん生ビールを追加。広島、御殿場からの参加者もいる。組み合せ・年齢層も、親子や姉妹、カップル等いろいろ。びっくりしたのが、去年参加した時に一緒だった方もいたこと。彼は、去年6月以来、10回以上ボランティアツアーに参加していて、ベテランの域だ。

食事会場の横に、漫画やら面白そうな本を置いている読書コーナーがあり、食事の後、漫画好きのヒゲタさんとのぞいてみる。さすがにワンピースの新しいのはなく、懐かしの「パタリロ」があったので、手に取る。なんと77巻。そんなに続いていたのね。

部屋に戻って布団の中で漫画を読むと、温泉と生ビールの余韻で、実に心地よい睡魔に襲われたが、他の3人が再び温泉に行くというので、それもそうだな、せっかくの温泉なんだし、と若干自分にムチ打って、温泉に行く。
温泉入口には「明日の日の出時刻 6:33」と出ている。日の出を見ながら、入りんしゃい、ってことかい。
きっと朝風呂にも入るんだろうな。ほんと、日本人ほど温泉好きな人種はいないのではないかと思う。

22:20頃 温泉から戻り、今度こそ、眠りの温泉へドボン。

<2月12日(日)>

目が覚めると、6:15。おっと、日の出は6:33、と温泉へ急ぐ。朝日が海面に照らされて雄大だな~。

大宴会場での朝食後、8:15にVCへ向けて出発する。
この頃から、雪がかなり降ってくる。車内で添乗員さんがVCと電話でやり取りし、「作業は、悪天候で中止になる可能性があります」とのこと。ドキドキしたが、作業は決行で、ひと安心。

VCに着くと、ドイツ人が5人程いて、カメラやらマイクを持って取材している。ドイツの民放番組で放送するらしい。1人は実際に作業にも参加する。

この日の作業は、廻館という所で細かい瓦礫の撤去。廻館は、前回衝撃を受けた壊滅地帯。重機で大きな瓦礫は撤去されているが、人の手でないと撤去できない細かい瓦礫が残っている。瓦、可燃物、ガラス・陶器と、細かく仕分けしながら拾っていく。大雑把な私は、こういう細かい分類がちょっと苦手だが、これはちゃんとやらなきゃならんだろうと、その都度訊きながらやる。
地面が凍っている所もあるので、瓦礫を掘り出すのも結構大変、しかも長靴のそこからシンシンと冷冷気が伝わって、足の指が冷たくなる。

11:00頃 VCのリーダーから「今日は悪天候のため、午後の作業は中止します」とのこと。私たちのツアーはもともと午前中までだったので良かったが、午後もやるつもりだった人はがっかりだったと思う。
終了直前に、プラスチックの四角いものを掘り出し、何かと思ったらホットカーペットの一部だった。大きなホットカーペットを土から引き剥がす。さらに、厚いビニールのかけらが土から出ている。なに、なに?と掘っていくと、隣にいたVCリーダーが「こりゃ、ビニールハウスかも知れないなぁ。今から掘り出したら大変なことだから、見なかったことにしよう」と、見なかった振り。

こうして全工程の作業が終了。

この後、温泉好きな日本人に配慮して、またしても1時間の温泉休憩がある。
とは言っても、ホテルに戻って、ホテルの温泉に入るだけなのだが。さすがに冷える作業だったので、嬉しい。
最後の温泉だし、気合を入れて、「絶叫・野外露天風呂」にも入る。

14:00 にホテルを出発して、宿、南三陸町に別れを告げて、東京に向けて帰る。
21:00 東京駅着 「お疲れ様でした」

<総括>

復興を感じたか、と問われれば、答えは難しい。

大きな瓦礫は片付き、「廃墟」のイメージから脱しつつある。
VCの人は、昨年12月に信号が点いた時にとても感激したとのこと。
VCの近くのアリーナで、以前「DNA鑑定所」と看板が出ていた会場は、今回は「のど自慢」が開催されていた。

仮設住宅の住人など、運動不足、生活不活発病の人のためか、スポーツジムのようなマシンを備えたコーナーが出来ている。このように、小さいながら、変化がある。

しかし、簡単に解決できない根深い問題もある。
最大の問題は、被災者が町を出て行って、戻って来ないこと。

人(生活者)がいないことには、どんなに町をきれいにし、インフラを整えても、箱だけで中身がない。
VCの責任者いわく、町を出て行った人の6-7割が、「戻らない」とアンケートで答えている。

「住人を呼び戻すこと」とそのための「雇用創出」が復興に必要と思われる。
(これを言っちゃ元も子もないが、実は、人口流出・過疎化の問題は、震災前からあったのではないかと思っている。)

ボランティアについては、VCの担当者から「ボランティア活動の為にボランティアの人の日常が犠牲になることがあっては、本末転倒。みなさんの日常がきちんとしていて、はじめてボランティアが成り立つ」と言われ、なるほどと思った。
被災地を「非日常」と見なさないで欲しい、という裏のメッセージを感じた。ボランティアを受け入れる側も、ボランティアをする側も「非日常」から「日常」へ視点を移す時期かも知れない。

個人的には、漁師さんと触れ合い、体力を使い、採れ立ての牡蠣をいただき、温泉に入り、同じ地を再訪して変化を体感できたことは、貴重な経験だった。
<完>
<おまけ編>

* スペイン人 クスコさん

往路の夜行バスで、SAで休憩していると、”I'm from Spain”という会話が隣から聞こえてくる。
「おっ?」と思い、”Are you from Spain?”と話しかけてみると、バルセロナの人。バルセロナと聞いちゃ黙ってられない、「まさか、わざわざボランティアの為に来日したんですか?」と訊いてみると、10日間の出張の休日を利用して参加したとのこと。
さらにお話すると、食品関係(トマト、オリーブ油等)の仕事で「メルシエンって知ってる?」と訊かれ、「?」と思ったが、「あぁ、メルシャン(明治屋)か」と思い当たる。ホテルも京橋とのことで、納得。
藤沢の食品工場へも行くらしく、なかなか忙しそうだ。
帰路の那須SAで肉まんをおごってくれる。東京駅での解散後、男子だけで「最後のビール」を飲みに行っていたよ。

* 何でも車にしてしまえ
ボランティアの活動地は、当然ながら、周囲には何もない。トイレも、お店も。
なのでどうするか。全部、車にしてしまう。

トイレは、ワゴン車みたいな車で「バイオトイレ」が来てくれる。大成建設の下請け会社が提供するサービスとのこと。水が使えないので、砂が入っている。
使用は女子限定で、男性は林の中に消えていく~。

パン屋さんも、ワゴン車のパン屋さんが、電話一本で、活動地に販売に来てくれる。
温かいスープやコーヒーも販売するので、これは助かるのだ。


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